誰も頼れない、頼らない場所で自分を試す
プロフィール: Michelleさん、社会人になってから大学と大学院に留学
アメリカへは社会人(既婚)になってから留学しました。過去にアラビア語圏の大学に入学したこともあり、ある意味抵抗はなかったですが、アメリカの留学はTOEFLのScoreも高いものが求められ、必死でしたね。スコアを取るための学校には通わなかったので、コツなども分からず、むやみに受けては点数が取れず、その繰り返しでした。
留学先は南西の位置にある州立大学です。そこは白人が多いですが、人種差別は東より少ない気がしましたね(人にもよりますが)。地道に英語を頑張ろうかとカレッジの英語クラスを取り始め、わずか2ヶ月もたたぬうちにTOEFLのスコアが取れ、大学への入学が許可されました。
予想以上の早い展開に、英語の先生が「他にも教室に通っていたのか?」と聞かれたほどです。しかし、大学おいても、そのクレジットが移行されるため、引き続きカレッジで英語を取り、それ以外のクラスは大学でとりました。(費用も大学よりカレッジの方が安価でしたので)
メジャーはバラエティに富んでいます。もともと心理学を希望していたのですが、自身の勉強したことのない分野で大学をもうひとつ出ようと決意、日本の大学のクレジットは全く役に立たなかったので、ほぼゼロスタートです。
米国の大学はお金が掛かります。それもあり、早く卒業しなければと必死でした。1タームで標準とされる授業数は12クレジット(4教科)ですが、私は毎学期6教科をとり、通常より1年以上早い卒業を迎えました。カレッジでも並行にクラスを取っていた時期もあり、その時は8教科です。一日14時間以上は机に向かっていましたね。家族の時間以外は全て勉強でした。教授はさすがに驚いていました。頭が良いほうではありません。しかし、一生にこれほど勉強したことはないです。
日本の大学や社会は、年齢での「差別」が強く、近年では社会人入学が許容されているところも多くなっていますが、米国は全くそんな観点で人々を見ません。自由な個人の選択として、学びを取ることは素晴らしいことですよね。それが許される国です。私が大学に在籍中、10歳以上下の子たちと勉強をしていましたが、彼女たちも全く臆せず、一個人として接してくれていました。
大学院にもあがりましたが、年齢層は20代から70代まででした。仕事をリタイヤし、大学から入りなおし、大学院で勉強する70代の男性は経験豊かで話題も豊富、20代の生徒からもさまざまな意見を求められていましたし、聞く姿勢も素晴らしかったです。
私は自身の卒業したメジャーにおいて、唯一のアジアンでしたので色々と注目を浴びました。卒業までの年数が早いこともあったからかもしれません。アジアンだからと時々受ける差別に涙することはありましたが、学校生活においてはなかったです。
こんな環境ですから、自身が確りしていないと学生生活は厳しいです。頼れるのは基本自分だけ。しかし、日本人「親友」と言う感覚を米人と共有するのは難しいかなと思った時、頼れる仲間は出来ました。これは勿論日本人ではありません。
日本人、時々交換留学で日本の大学から来ている生徒は見かけましたが、異様な「日本文化」を持ち込んでいたので、全く無視しました(笑)。折角米国の大学の学生なのだから、あえて日本人と触れ合う必要はないと思います。
「日本の大学は入るのが難しいが、出るのは簡単」と言われていますね。そして米国は逆と。そのとおりだと思います。だからこそ、個人が磨かれるような気がします。
就職難と言える今の時代、内定を蹴って、あえて留年してもう一年先の栄光を狙うという考えも、最近ではあるようですが、その一年の使い方を考えるべきではと社会人としては思います。同じ環境で一年を費やすよりも、新たな世界で一年費やすことの意義が高いような気がします。新たな世界というカテゴリーで「米国の大学」というのもあるでしょう。自身を信じて、周囲を頼らずに自分で開拓する世界を見つけてみてはいかがかなと思います。
私の場合、日本の学生観からすればあまりにもチャレンジングな社会人留学なのでしょうが、帰国後は国際機関に採用されました。英語と経験と社会観は、米国留学で更に磨かれたと思います。日本人のアイデンティティを持ちつつ、様々な人種・性別・年齢の人と関わる。固定概念が作られ、極めて保守的な部分の多い日本社会を変えるのは、これからの世代の人々が海外を見ることで大きく変わる気がしますね。
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